今回は喜多川泰さんの著書「スタートライン」を読みました。
子供が中学生、高校生ぐらいには絶対に読んで欲しいと思える本でした。
30代の大人でも、学生時代がよみがえり、恋愛ストーリーに心がキュンしてしまいました笑
ストーリーも面白いですが、大切な学びを得ることができました。
今月の朝3時半ごろ目が覚めてしまい、読み始めた本書。
3時間ぐらいで一気に読み終えてしまうほど、とても素敵な本でした。
夢は何ですか?と聞かれると困る方、子供には夢を持った人生を送って欲しいと思っている方など是非お勧めです!
夢についての根本的な向き合い方を変えてくれる本です。
<夢=職業ではない>
小学校時代は卒業作文に「将来の夢」を書く。プロ野球、サッカー選手、医者や宇宙飛行士など
しかし中学生になると、人前では将来とか言わなくなる
高校生時代ではずっと先にあると思っていた「将来」がすぐそこに迫ってきて、何を「夢」といっていいか分からなくなる
その時先生たちは言う
お前ら夢はないのか?夢がないからやる気が出ないんだ。
すぐに迫った「未来」を4年後に先延ばしにすることができるのが「大学」という場所
将来の夢を見失った多くの若者が「夢」を探しに大学に来る
しかし、その大学で「夢」を語ると
夢ばかり見てないで現実を見ろ
と言われる。
高校を卒業するまでは、夢を持っていないから駄目だと言われ、大学に入った瞬間から夢ばかり見ていたらダメだと言われる
先生たちからは
夢は持っていないとダメ!
と言われ、
成功者からは
夢は諦めなければ必ずかなう
と言われ、
身近な人から
いつまもでも夢を見ていては生きていけない!
とすら言われる
幼いころの「夢」は本当の夢ではなく、「職業」でしかない
医者でも。弁護士でも、学校の先生でも、その職業に就くことが「夢」ではない。
その職業に就いた後で、それによって叶えることができる「何か」がある。その「何か」こそ「夢」だ。
職業はその夢を実現するための一つの「手段」でしかない
自分の親を病気で亡くした人が、同じ病気で苦しむ人やその家族の苦しみを救いたいと願う。
将来はお医者さんになって、病気で苦しむ人を救いたい!
そんな生き方を決めたとき、それが「人生の夢」になる。
その夢を実現するための手段として「医者」という「職業」が存在する
しかし、その夢を実現するための手段は一つではない。医製薬会社で薬の開発をすること、栄養士の資格を取って食事から病気で苦しむ人へのメニュー開発も同じ。
「職業」=「夢」だと思ってしまうのはしかたがないが、その職業に自分が就けない理由が見つかった時点で、その子は夢を諦める
一つの手段がダメだからといって、自分の夢を捨てる必要などない
将来一つの職業を諦めることとは、自分の夢を諦めることではない
自分は夢を持っては諦めるということを、何度も繰り返している…
と感じている若者がいれば
自分の夢は小さいころからずっと変わっていない。その夢を実現するための手段をいつも探し続けている
と感じている若者もいる
前者は「夢=職業」のまま大人になった人、
後者は職業を夢に実現するための普段でしかないということに気づいた人である
自分自身は「夢=職業」になっていないでしょうか?
<夢の力=「やらなきゃいけない」ではない>
夢を持つ前は、ただ好きだから毎日やっていることも、夢を持ったばかりに、やらなければならないことに変わり、どんどんそれが嫌になるということを多くの人が経験して大人になっている。
例えば野球少年が、野球が好きで野球をしているのに、野球選手という夢を持ったばかりに、うまくなるためには毎日野球をしなくてはいけなくなる。
野球選手になるためには、いっぱい練習しなきゃ…
(あれボールが止まって見える…おりゃ!)
「やりたいこと」をすべて「やらなければならないこと」に変える力が、夢にはあるからこそ、
夢も持ったとしても「やりたいこと」が「やりたいこと」のままでいられる「人である」ことが、夢を持つ前にどうしても必要
「やりたいこと」が「やらなければならないこと」に変わる人と、「やりたいこと」のまま変わらない人の違いはどこにあるのか。
それは、目の前にやってくるものをどう受け取るか。
無条件ですべてを受け入れようとするのか、その時の自分の都合で取捨選択するのかの違い
<夢の見つけ方>
本書から自分なりに読み取った「夢を見つけ方」について3つに分けてご紹介をさせていただきます。
夢の見つけ方①<本気で取り組む>
「やりたいこと」が「やりたいこと」のまま変わらない人は、無条件ですべてを受け入れようとする
本気で取り組んでいることの中にしか、僕たちは夢を見つけることはできない。
だから、目の前にやってくるすべてに対して、本気で取り組む毎日を送っている小さな子供にはたくさん夢がある
ところが中学生になると自分で授業の受け方を決める
苦手な教科は不真面目に受けるようになり、気分が乗らなければ話を聞かなくなる
小学生の頃のように、目の前にやってくるものに全力で…というのができなくなる
小学生は、国語の時間小説を読むときに役割を決めて読書劇のようなことをやると、みんな本気でその役を演じようとする。
しかし中学生に同じことをしようとすると
それ意味あるの?
子どもじゃあるまいし…
それやったら成績上がるの?
とやる前から、やらない理由を考えようとする
高校生になると、受験に関係ない教科は「いらない」と判断して授業すら取らなくなる。
この科目は受験に関係ないから、授業受けなくていいや~
いつの間にか判断基準が必要かどうかではなく、面倒かどうかになり、最終的には目の前にやってくる出来事全てに対して、何かと理由をつけて本気でやれなくなる。
そうなった若者は、この言葉を発する。
何か面白いことはないかな…
「夢を探す」という言葉を使う人がいるが、探しても見つからない
見つかるのはせいぜい儲かりそうな職業や、これならやってもいいかなと思える仕事
夢というのは、自分の内側にしかないもの
子供のころ毎日が楽しいのは、面白いことをしているからではない
本気でやればなんだって面白い
そして、本気でやっているものの中にしか、夢は湧いてこない
夢の見つけ方②<計算ではなく情熱で行動し出会う>
夢を叶えるカッコいい大人たちは、みんな自分のやりたいことに対して本気で生きている。
儲かるか、周りにどう思われるか、安定しているかどうかなんて考えない
「計算」ではなく「情熱」をベースに行動している。
情熱を持ってやっていることの先には、彼らなりの「夢」がしっかりとある。
人の出会いは「計算」できない
たいていの人は将来のことを真剣と考えていると言いながら、出会いとか縁といったものを初めから無視して、将来を「計算」しようとする。
みんなが知っている大手企業に入って、福利厚生が整っていて、初任給も高く、残業が少ない仕事がいい。
しかしどんなに将来を計算しても、これから先の人生、いつどこで誰に出会うかを将来の設計図の中に組み込むことはできない。
それより、情熱をベースに自分の目の前にやってきたことに本気で取り組んで生きていけば、必ず自分を応援してくれる人との出会いが訪れる。そして、その出会いによって人生は、自分が想像もできないほど素晴らしい方向へと動いていく。
だいたい、ある一つの分野で本気で生きている人が、同じ分野で本気で生きている人に出会わない方が難しい。
目の前のことに本気で生きていれば、奇跡は起こる。
でも本当は、それは奇跡ではなく、当たり前の出会いなんだ
夢の見つけ方③<人間だけの原動力の<憧れ>を見つける>
動物の原動力<不安>
いちばんの原動力になっているものは、不安や恐怖
就職活動に必死になるのも、採用試験の勉強で必死になれるのも、将来に対する恐怖や不安から
就職先が見つからなかったらどうしよう…不安だ…
それは動物的な原動力。犬や猿、ライオンだって同じ動機で動く。
腹が減ったら、死ぬかもしれない。だから餌を狩りに行く。ところが満腹になったら、動かなくなる。
その不安や恐怖が去った瞬間に、行動をやめてしまう
不安を理由に行動することは、継続し続けるのはストレスもたまり、続けていくのは難しい
そこで人間特有の原動力の<憧れ>を使う。
人間だけの原動力<憧れ>
子供が憧れる存在はどこにいて、どんなきっかけで子供の前に現れる?
たいていは「テレビ」である
子供の将来の夢にサッカー選手や野球選手が多いのは、子供が目にする機会が多いから
日本代表のサッカー選手になってワールドカップに出場したい!
しかしそれ以外に本当は知っていたら「憧れていた大人の仕事」は、他にもたくさんはず。
学校の先生は「夢を持て」とか言うかもしれないが、先生自身には経験や知識がないので紹介をすることができない。
その結果、子供達が憧れるのは、テレビでよく見る職業か、偶然出会った職業だけになる。
今まで大学も含めてると、16年も学校に通っていた。
その中で、何人の憧れの存在に出会った?
どれだけ憧れの人について教えてもらった?
カッコいい仕事をして生きている大人がいることをどれだけ教えてもらった?
もし毎週一回、憧れを抱ける大人を紹介できれば、1年間で30人は紹介できる。
小中高と12年続けてみれば、360人のいろんな分野で活躍する人の人生に触れることになる。
子供達の憧れは多様化して、人生の選択肢が広がる
まとめ
夢は職業ではない、職業は夢を実現させるため<手段>である
その職業に就いた後で、それによって叶えることができる「何か」がある。その「何か」こそ「夢」だ
【感想】
子供がその職業によって叶えたい「何か」を自覚させてあげて、子供の夢を応援してあげようと思った。
【今後】
「何になりたい」と子供に聞くことも大切だが、「なんでなりたいのか?」を聞く方がもっと大切なため、「なんでなりなたいか?」の問いかけを繰り返していく。
もちろん大人自身が転職をするときやキャリアを変えるときも、「なんで変えたいか?」を繰り返していき、明確にしていく。
夢を持ったばかりに、やらなければならないことに変わり、どんどんそれが嫌になるということを多くの人が経験して大人になっている
「やりたいこと」が「やりたいこと」のままでいられる「人である」ことが、夢を持つ前にどうしても必要
【今後】
子供の夢を応援するときは、
「もっと練習しないと、もっと勉強しないと、夢は叶わないよ!」と言ってプレッシャーをかけるのではなく、子供が「やりたいこと」のままでいれるような、子供の内発的動機付けを引き出してあげるような声掛けをしていく
「やりたいこと」が「やりたいこと」のまま変わらない人は、無条件ですべてを受け入れようとする
本気で取り組んでいることの中にしか、僕たちは夢を見つけることはできない。
夢というのは、自分の内側にしかない
【感想】
子供には一生懸命取り組むことの大切さを伝える必要がある。
親自身が手を抜いている姿や、発言はしてはいけないと感じた。
【今後】
例えば保育園で子供が絵を描いて持って帰ってきたときに、
「絵が上手に描けても、将来稼ぐことは難しいぞ」とは言ってはいけない。
親が子供と遊ぶときや、一緒に勉強する時も、手を抜いた態度をとらないようにしていくことも大切であると思った。
3歳の長女は何事にも全力でやってくれているので、全力でやる長所を摘まないように、全力でやる芽を伸ばしてあげるサポートをしていく。
情熱をベースに自分の目の前にやってきたことに本気で取り組んで生きていけば、必ず自分を応援してくれる人との出会いが訪れる。
【感想】
自分が大人になる段階では、「情熱」ではなく「計算」をしていくことが正しいと思わされていたのかもしれない。例えば「公務員になれば、リストラもないし将来安定している」や「平均年収を調べて、平均年収が高いところの業種から就職先を探す」など。
「計算」で選んだ会社は、その計算に狂いが生じると、続けていくことが難しくなると感じた。
【今後】
下記のブログでも書かせていただきましたが、本気で取り組めば、必ず応援してくれる人には出会うことをができました。(北海道でパーマカルチャーを推進している三栗さんに直接会いに行きました)
今後も自分の活動を続けていき、夢を応援してくれる人にもっと出会えるように本気で続けていく。
動物の原動力<不安>
人間だけの原動力<憧れ>
憧れを抱ける大人を紹介できれば子供達の憧れは多様化して、人生の選択肢が広がる
【感想】
自分自身が子供のころに描いた夢は職業であったことに気づいた。周りの友達がサッカー選手になりたいと言っていたことや自分がサッカーをやっていて、家では日本代表試合をテレビで見ていたこともあり、夢と聞かれたりしたときは、サッカー選手と書いていた気がした。
16年間学校にも通っていたが、憧れる人に何人であったか?と言われると、正直一人もいなかったかもしれない。
自分が中学生の頃の数学の先生が「いい大学に入っても一般企業に入れば、お前は使えないやつだ~と言われて頭を叩かれることもあるんだよ~」と言っていた大人もいた。
父親が働く姿を見て、満員電車での通勤の過酷さ、働くことは大変でありストレスもたまる。嫌なものでもあるが、耐えなくちゃいけないものという印象があった。
【今後】
自分の子供には<憧れ>を抱ける人をどんどん紹介していく。もちろん本を通しても学ぶことができるので、本を読む大切さを伝えていく。
さらには親自身が<憧れ>を抱くような人と出会いを積極的にしていくことで、子供にもその場所に連れてっていき、活き活きと働いている大人に会わせていく。
子どもに未来は明るいということを伝えて、子どもが<憧れ>や尊敬を持ってくれるような生き方を親自身がする
さらにこれからは日本だけで働くのではなく、子供が世界を舞台に目を向けられるように、幼いころは大人自身が世界で働くことをしていき、視野を広げる。
その一歩として世界地図をお風呂場に貼ってます笑
1月末から育休を2か月取る予定のため、海外旅行を計画中。
いかがだったでしょうか。
大切な家族に伝えたいメッセージですが、自分自身も励まされ感化されました。
自分の夢をもう一度見つめ直し、何事にも本気で取り組みます。
「計算」ではなく、「情熱」をベースに!
自分の中では、「海外で働いて、暮らしてみたい」という、「計算」ではなく、「情熱」があることが分かりました。
これからなにを「選択」し、どのような「行動」をとっていこうか…
この度も最後までお読みいただきありがとうございました。
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